彼女に文字が読めるワケ

4章 神の裁き

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 一日の仕事を終えたスクリスは、ディアリマと連れだって神官の小屋を訪ねた。
「セレネの、今日のあれは一体なんでしょうか」
「古代文字についてか」
「はい。それに、古い文字も教わった訳ではないと。しかしまるでどこかで教わったかのように読めると町で聞いておりますが」
 スクリスの言葉に、神官は何かを思い出したようだ。
「以前、セレネが神殿に来て間もない頃」
 続く神官の言葉にスクリスとディアリマが納得したように頷いた。
「するとやはりセレネは」
 何やら三人で相談する。
「くれぐれも“外部に”漏れぬように」
 
「真に魔物憑きであれば、か」
 一日の仕事を終えたスクリスは、宿舎に与えられた個室で呟いた。少ない私物を入れる箱の中に、粘土板を作るための道具が隠されている。それが元のままであることを確かめた。メラリスとの密会の晩以来、例の少年に探られている気がしてならないスクリスである。
 町に用意した家でにせ物の粘土板を作り焼く。セレネに下る裁きを確かなものにするため、スクリスが考えた手段だ。
「何代にもわたる悲願とは言え、人の命を」
 いくらあのときに幼い子ども達まで命を奪われたとはいえ、とため息をつく。
「確かに教えられもせず古代文字を読むなど人間とは思えないところはあるが」
 神官もディアリマも、スクリスと同意見であることは先ほど確かめた。
 一つ決心をして、奥の間の方に体を向け、祈りの形に手を組んだ。
「畏れ多くも我を導く神よ、私は此度の裁きに干渉いたしますことをお許しください。その責めはセレナでもセレネでもなく、この私が受けましょう」
 応えはなかった。

 二日後、粘土板作りのため、セレネは念入りに身を清めた後、童女が住まう建物のある一角に出向いた。そこには身を清めたといえども男であるタラッタは入れない。庭に設えた作業場所で行うらしい。柱と屋根だけの簡易的なものだという。そばにはかまども作られている。

「ただいま」
 夕方になってセレネが帰ってきた。
「お帰り」
 夕食用のスープと付け合わせの野菜を手にして食堂に入ってくる。裁きの準備で神殿内はいつもより忙しい。世話係のオーディーが小屋の前までは付き添ってきたが、中には入らずに引き返したという。
「粘土板作りは、どうだ」
「どうって言われても。粘土をこねて、麻雀牌より一回り大きくて薄くしたような、じゃなくて、手で包めるくらいの大きさの四角い板にして、文字を書いただけだし」
 柔らかい粘土に小さな文字を書くのはちょっと大変だったなと付け足す。
「えっと、それを焼くんだっけ」
「うん、五日間天日で乾かしてから。粘土板を焼く日にはまた行ってくる」
「わかった。ああ、そうだ」
 セレネの不在中に、町に出かけていたスクリスがタラッタに知らせを届けてきた。
「セレネの家族、裁きの前の前の日の昼前に来るらしいよ」
 スープの温め直しはタラッタに任せて、パンとチーズを用意していたセレネが動きを止めた。身を清めるために、肉は避けている。
「みんな、変わりないかな」
 セレネの問いかけに、タラッタは何も答えなかった。
「元気だと、いいけど」
 タラッタが会うときには気丈に振る舞っているが、やはり苦労は隠せない。一家は今、町を囲む塀の外で暮らしている。町に家を持てない貧しいものや、畑の番をするものが点在しているあたりだ。
「セレネこそ、元気な顔を見せてあげな」
 タラッタの言葉に、セレネは小さく頷いた。

 スクリスは町に用意した家に来ていた。セレネが作った物とそっくりな粘土板ができあがる。ただし一種類だけ。乾くまで窓際に置き、頃合いを見て焼きに来るつもりだ。
「また付いてきたか」
 窓の外に見え隠れする少年は、やがて神殿に帰っていった。

 粘土板作りは順調に進んでいるという。焼き上げて冷まし、かまどに入れた日から三日後に取り出した。
「ここまでどれも割れなかったし」
 神殿でも粘土板を焼くのは、前王朝の頃に他の町に送る文書を作ったとき以来だという。セレネが裁きの準備を始める前に何度か試し焼きをしたときには、ひびが入ったり割れたりする物もあったそうだ。
「一応予備も何個か作っているけど」
「幸先がいいってことだろ。良かったじゃないか」
「この後が難しいとも聞いているけどな」
 セレネが肩をすくめた。

 焼き上がった粘土板を、さらに粘土で包む。乾くときに大きさが変わってしまうためか、外側の粘土板が割れてしまいやすい。粘土板をかなり余裕を持たせて包んでおく。不自然にならないよう気を配りながら、スクリスは作業を進めた。

 夜中。スクリスは暗闇に乗じて童女の住まう一角に忍び込むと、作業場所に置いてある粘土板を慎重に選び、幾つか取り上げた。月明かりを頼りに、自身が用意したものとほとんど区別が出来ないことを確認すると、すり替えた。
 本物の粘土板は人目に付かないところに埋めてしまえば、やがて崩れて土に帰るだろう。今夜はひとまず自室に持ち帰ることにして、スクリスは童女の住まう一角から出た。
 
「何をした」
「やはり付けていたのだな」
 タラッタが呼び止める小さな声に、スクリスが足を止める。
「正しい裁きのためにな」
「まさか粘土板に細工を」
 タラッタが童女の住まう一角を見やる。
「だとしても、もうお前には何も出来まい」
 スクリスが粘土板を見せて冷たく言い放つ。
「どう守れるか、考えておくべきだったな」
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