彼女に文字が読めるワケ

3章 神殿暮らし

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「わたくしはキサラの態度は失礼だと思いますわ。いくら裁きを待つ身であっても、今はまだ神殿のお客様ですもの。神様が特に何もお伝えにならない以上、セレネを魔物憑きと決めつけるのは反対ですわ」
 オーディーは夕飯を配膳しながら言った。
「気にしてません。何を言われても仕方の無いことはわかっています」
 セレネが静かに言う。湯上がりでまだ髪が湿っている。
「他者と少し違う。それは誰かを排除する理由になりえます」
「そうですわね。特に誰にも出来ないことを出来る。それを警戒するのはよくあることなのでしょうね」
 でも、とオーディーが首をかしげた。
「文字が読める程度で、ねえ」
「町では『その程度』ではないですから」
「それはディアリマ様に聞きましたわ。まあ、古代文字が読めるというのは、神殿でも神官様と、最終候補に残ったものだけ。いまの神殿では、ああ、スクリスさんがそうですわね。それと似た感覚なのでしょうか」
「スクリスってどんな人なんだ」
 タラッタが何気なく訊ねた。
「そうですわね。背の高い方で、四十歳は過ぎていらっしゃったかしら。真面目で頭の良い方よ。規律に厳しいけれど良い方ですわ」
「えっと、ちょっと目つきの悪い、首のところで髪を結んでいる……」
 タラッタが、見かけたことのある男衆の中から該当しそうな人の特徴をあげた。
「おそらくその人ですわ。あら、わたくしお喋りが過ぎましたわ。わたくしのお食事の時間が無くなってしまいますわ」
 オーディーが慌てて出て行くと、セレネは食前の祈りの言葉を口にした。タラッタもようやく覚えた言葉を唱える。それからスープをすくいながら難しい顔をした。
「似てる気がするんだよな」
 呟いて、匙を口に入れる。
「誰に」
「それが思い出せないんだよ」
 タラッタは眉間にしわを寄せて考えたが、すぐに諦めて食事を再開した。

 お手本の文字を指でなぞりながら、タラッタはため息をついた。
「セレネは、どうやって文字をそんなに早く覚えたんだ」
 二十文字は教わったはずの日だが、タラッタはまだ半分の十文字しか読めるようになっていなかった。セレネが別のパピルス紙を用意する。
「ちょっと待ってて」
 ずいぶん沢山の文字を書く。
「出来た。このパピルス紙の、文字の、右半分と左半分をよく見て」
 セレネが文字を書いたパピルス紙を指さす。縦横に整然と並んだ文字。
「この縦列は、全部左の部分が同じ」
「本当だ」
 毎日見ていたのに気がつかなかったと、タラッタは悔しくなった。
「次は横に見て。今度は右側が同じ。右側が同じだと、母音が同じだから、なんて言ったらいいか」
 セレネが顎に拳を当てて考えた。
「ボイン」
「『たー』って伸ばすと、最後は『あー』ってなる。その『あー』のところが母音。簡単に言えばだけど」
「たー」
 試しにタラッタは伸ばして言ってみた。確かにそうなる。
「たー、まー、やー、なんてね」
 言ってセレネは少し笑った。
「あー、かー、がー、さー、ざー、たー、なー、……」
 セレネが二十個近い文字を読み上げた。
「ここまでが全部『あー』の仲間。他にも、これが、『いー』『うー』……」
 文字を指さしながら同じ仲間だと説明する。
「縦の方は子音で」
「シイン」
「そう、子音。こっちは、『た』『ち』『つ』……が仲間になる。左側が同じ形の仲間」
「じゃあ、『た』には、右側が同じ仲間と、左側が同じ仲間がいるんだな」
「そう。母音だけで出来ている十二文字は、文字の左側だけしかないから、右側が同じ仲間はいないけど」
「うん。なんとなくわかった。学校ではこんなことも教わるんだな」
 タラッタが頷くと、セレネが首を振った。
「学校では教わらない。練習用のお話に出てくる順番に文字を教わるから、こういう表もない」
「じゃあこれはセレネが考えて書いたのか」
 タラッタは驚いてセレネと表を見比べた。
「うん、ちょっと違う。もともと、これじゃないけど、こういう表は知っていたから」
「いつ、知ったんだ」
 タラッタは訝しんだ。学校と職場以外に、どこでこのようなことを教わる機会があるのだろうか。
 セレネが視線をそらす。
「セレネ」
「どうせもうここから出られないかもしれないから、いいか」
 セレネが呟く。
「生まれる前に、教わったんだ」
「セレネ、まさか本当に魔物憑きなのか」
 セレネが肩をすくめた。
「俺はこの世に生まれる前に、別のところにいた。そこで、こういうことを教わった」
 セレネの口調は真剣だった聞こえない。
「異世界転生、って言ったら信じるか?」
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