彼女に文字が読めるワケ

3章 神殿暮らし

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3:十歳の先生

「俺の先生になってくれ」
 年下の女の子に教えを請う。タラッタには恥ずかしいことに思えたが、神殿内で自分だけ文字が読めない屈辱よりは良い。タラッタは悔しい気持ちでセレネに頼んだ。
「なんだ、そんなことか。いいよ」
 怖い顔をしているから何事かと思ったと言って、セレネは身構えをといて頷いた。
「まあ、読めた方が便利だし、神殿では当たり前みたいだし。じゃあパピルス紙をもし貰えたら貰ってきてくれる」

 タラッタは小屋を出ると、男性宿舎を訪った。キサラを呼び出して貰う。
「付き添い君、どうしたんだよ。俺今から風呂なんだけど」
 不満げにキサラは唇を尖らせた。
「忙しいところ悪いな。神話の勉強のためにパピルス紙が欲しいんだけど、手に入らないかな」
 キサラ相手に丁寧な態度をとる気にもなれず、タラッタは砕けた調子で接した。するとキサラがにやりと笑った。
「おう、いいぜ。それよりお前、真面目ったらしくていけ好かねえと思ってたけど、案外ノリ良さそうじゃん」
 馴れ馴れしい態度をとられて、タラッタは失敗したと後悔した。
「神話の勉強のためならいくらでも大丈夫だと思うぜ。何せ神官もディアリマ様も神話のオベンキョーが大好きだからな」
 任せろと胸を張るキサラに頼むなと告げて、タラッタは足早に小屋に帰った。
 
 翌日からは午前中をタラッタの勉強時間にあて、昼から神話集の講義、夕方に自由時間をとる。セレネとタラッタの神殿生活はそのように過ごすことが決まった。
 
「持ってきたぜ。パピルス紙だけじゃあしょうがねえから、パピルスペンとインクもな」
 得意げに荷物を持ってきたキサラは、セレネをジロジロと見た。
「何か」
「魔物憑きちゃんが先生ねえ」
「悪いかな」
「いいや、おかしなことを教えなきゃいいけど。まあ俺には関係ないか」
「関係ないなら出て行ったらどう」
 セレネは、シッシと手で虫でも払うようにした。キサラが出て行くのを、タラッタはほっとした思いで見送った。
 
 セレネは手に入れたパピルス紙に、パピルスペンとインクを使い、タラッタ用に文字の見本を書いた。それを見て、指先でなぞりながらタラッタは毎日五文字覚えるように勉強する。まずは五大神の名前に使われる文字から練習するようだ。
「ややこしいな」
「そうかな。それほど難しくも無いと思うけど」
 セレネが首をかしげる。
「そりゃあセレネは文字に慣れているだろうけど、俺は初めて習うんだし」
 タラッタの言葉に、セレネは少し遠くを見るようにした。
「そうだな。文字には慣れているな。ずっと使っていたし」
 何かを懐かしむようなセレネの様子が、タラッタには少し不思議だった。
 
 夕方の自由時間に、タラッタは小屋の傍で剣の素振りをする。神殿側は渋ったが、人目に付かないようにすることを条件に、スティーニが神殿に認めさせたのだ。
 鐘半分の時間を素振りと体を鍛えることに使ったタラッタは、農作業をしていた男衆達が神殿の外にある畑から帰ってくるのを遠目に見つけ、小屋に入った。タラッタ達に与えられている小屋の裏に目立たない通用門があり、そこから男衆達が出入りしているのである。
 
 男女それぞれの宿舎のわきにある井戸は、セレネもタラッタも使うことは禁じられている。だがキサラによって朝と夕方届けられる瓶の水で、不自由はなかった。届けられたばかりの新しい水は飲み水に。時間がたったものは洗面や汗を流すのに使う。
「よそ者に毒でも入れられちゃあ困るからな。あんたらのことを信用する理由もないし」
 毎日の水運びは大変だろうと礼を言ったタラッタに、キサラは悪態をついた。
「あんたはともかく、魔物憑きちゃんは外に出てないだろうな」
「ああ、ずっと小屋の中にいるよ」
 疑わしそうな目で見てくるキサラに、タラッタは肩をすくめた。セレネが時々見せる仕草をタラッタは無意識にまねていた。

 タラッタはかまどに火をおこして汗を流すためのお湯を用意した。町では体を拭くだけの日も多かったが、神殿では毎日湯をかぶって洗うように言われている。常に体を清めるためらしい。数日に一度は大きな樽にお湯を満たして風呂に入るという。それを聞いたとき、セレネの表情に乏しい目が輝いたように見えた。
「セレネもそんなことはしたことが無いと思うけど」
 湯に手を入れて熱さを確かめながら呟く。
「ニホなんとかならユブネに、とか言っていたけど」
 神殿に入ってからのセレネは、よくわからないことが増えたなと思いながら、タラッタは服を脱いで体を洗う支度をした。
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