彼女に文字が読めるワケ

1章 幼女文官誕生

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 知の女神が堕ちたということは無い。よってセレネを魔物憑きと断定することはできない。
 それが文官からの通報を受けて神殿が出した答えだった。
 神殿の言葉は、王でさえも従わなければならない。神々に仕える童女はその身に神を降ろし、神の言葉を伝える役目を担う。神殿の言葉は神の言葉なのである。

 騒動のあった翌日の夜には、神殿の言葉は街中に伝えられた。
 しかし街の人々の、セレネに対する恐れや不安は解消されたわけではない。ずいぶん経ってからも近所の人からは気味悪げな視線や心ない言葉を投げつけられた。

 タラッタが見習い兵士になって二年が過ぎた。主に番をする場所が保管庫から倉庫に変わったタラッタは、パピルス紙やインク壺を取りに来る文官と親しくする機会が増えた。 セレネは歴史書作りの仕事を外され、書庫の整理を任されている。ごちゃごちゃと詰め込まれていた書類のすべてに目を通し、仕分ける仕事だ。
「俺たちが三日かけて読むような量を一日で読むなんて、魔物憑きでなかったらなんなんだろうな」
 神殿が何を言おうと気味が悪いと文官の男が言う。足りなくなった革紐を倉庫に取りに来たついでに、見習い兵士相手にお喋りするのは、すっかりおなじみになった光景だ。
「たまたますごく頭が良いだけなんじゃないですか」
「それって気味が悪いだろ。学校で同じように教わって一人だけ特別にできる。同じ人間とは思えないね」
 しかも普通はまだ見習い仕事も始めない八歳の子供だと男は強調した。
 兵士ならば、たまたま人より運動能力が優れていれば褒められこそすれ嫌がられることはない。味方の有利になるため歓迎される。兵士たちがセレネに対して嫌悪感を抱いていないのはそのような考え方の違いがあった。
「この間もな」
 文官の男が声をひそめた。
「資料庫の中から古い書き付けが出てきたんだよ」
 初代の王がこの街を治めるより前の時代に書かれたものだという。長い間に文字の形も変わり、それを読める文官がいないという。
「読めなければゴミだ。始末しようとしたらセレネが貸せと言うんだ。今は読めなくても、いつか古い文字を読み解く奴が現れるかもしれないから取っておけと。でも今読めない文字がこれから読めるようになると思うか。誰も読み方を教えてくれないのに」
「まあ、読めるようにはならないですよね」
 男はタラッタが同意したことに気をよくして何度も頷いた。
「うん。それでどうせ捨てるなら構わないと思ってセレネに渡したら、四日も経たなかったかな、読めたと言って今の文字で書き直したのを文官長に見せたんだ」
「それ、内容はあってたんですか」
「さあね。それがわかるくらいだったらセレネなんかに渡さないで読むよ」
 ひとしきり喋って気が済んだのか、男は文官の執務室に戻っていった。

「あの内容なら、前に古老に聞いた話をまとめたようなものだったから、解読は簡単だった。他にも資料室にある」
 おかげで古い文字も読めるようになったと、表情の乏しいセレネにしては楽しそうに言った。夏の夕日を浴びながらの帰り道、仕事終わりの時間が一緒になったタラッタはセレネと並んで歩いていた。
「新しい役目はどう、慣れた」
「一人は気楽。書類を読むのに、周りにあわせてわざわざ声を出す必要もなくなったし」
 おかげで余計に読む速度が上がり効率が良くなったらしい。
「巻物に仕立てる作業もあるから、そっちは面倒だけど」
 二〇枚のパピルス紙を膠で繋ぎ巻いていくのは、まだ手の小さいセレネには大変な作業だ。
「それにしても今年は雨が降らない。水不足にならなければ良いけど」
 セレネが恨めしそうに空を見上げた。
 元々雨の少ない季節だが、この夏は一日も降っていない。太陽の魔物の仕業だとされ、神殿での封じの儀式も行われたが効果は無かった。
 人々の不安を鎮めることができない神殿を批判する声が上がり始めていた。
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