ひとしれずこそひとしれずこそ3章

11 予備校

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 予備校までは自転車で十五分もかからない。夏由は雑居ビルのガラス扉を開けてエレベーターホールに立った。階数表示やボタンが並ぶパネルの隣に、入居する施設の名前が書かれた金属板が貼り付けられている。三階から五階までが予備校のあるフロアだ。夏由はボタンを押してエレベーターを呼び出した。
 チン、と軽い音がしてエレベーターの扉が開いた。乗り込もうとして、降りてくる人に気がつき慌ててよける。
「あ、」
「……」
 降りてきたのは悠翔だった。
 悠翔は無言で夏由を見て、それからふっと顔を背けた。
「あ、あの。岡田」
「悪い、休憩時間そんなに無いんだ。コンビニ行きたいし」
 それだけ言うと、悠翔は早足でエントランスを出て行った。
 夏由は、それ以上声を掛けることも追いかけることも出来ず、もう一度エレベーターの呼び出しボタンを押した。
 
 母親が電話で話を通していたおかげか、入校手続きはすぐに始まった。女性の教室長に、二年生の時の通知表と、学年末考査の結果を見せ、志望校を伝える。滑り止め受験を見越し、受験科目を国語と数学、英語、政治経済に決めた。受講もこの四教科だ。九十分の授業を、週に八コマ受ける。講師一人で二人の生徒を同時に指導する形式だ。夏由は受講時間に希望はないので、空いている時間で時間割を組んで貰う。
 少し待って、週三日の時間割が決まった。月水金に授業を受る。他に土曜日はなるべく自習室に来るように言われた。自習中も、手の空いている講師に質問は自由に出来るらしい。
「じゃあ早速だけど、数学を担当する講師を紹介しますね」
 今日は一人に授業をしているという所に顔を出す。
「数学と政経を一緒に受けてもらうのは、同じ学校の人ですね」
 知り合いでなければいいと、夏由は思った。
 
 フロアを移動して教室に入る。大人の肩の高さ程のパーテーションで仕切られた区画が並んでいる。
「深山先生、岡田くん、邪魔してごめんなさい」
 三十代くらいの男性講師が振り向く。だが、夏由の目にはその姿はほとんど入らなかった。
「岡田」
「知り合い」
 夏由の呼びかけに、深山が質問を投げかけた。悠翔が驚いた表情で振り返った。
「はい」
「同じ高校で、ずっとクラスが一緒のヤツっすよ」
「そうなんだ。数学担当の深山です」
「あ、時城です。よろしくお願いします」
 慌てて視線を深山に移す。
「じゃあ、深山先生。時城くんは明後日から岡田くんと一緒に受けてもらうことになりました」
「分かりました。時城くん、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
 夏由がペコペコと頭を下げる。悠翔はそれを無視するように問題集に向かっていた。
 
 手続きだけのつもりが、せっかくだからと早速授業を始めることになった。一緒に授業を受けていても、内容はそれぞれ別である。夏由は、実力診断のための問題を解かされた。その間に、深山は悠翔が先ほど解いていた問題の解説をする。
 夏由はやはり手こずりながらも、ほとんどの問題に手を付けた。三十分掛けて出来るところまで解いたところで、今日の授業時間は終了となった。
「じゃあ、答えを渡しておくから、確認しておいて。明後日にはテキストと問題集を選んでおきます」
「はい」
 帰り支度を始めた悠翔を追いかけようとして、止めた。
 もう一度拒絶されたら、立ち直れないような気がした。


ひとしれずこそ

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