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修学旅行が終わってから冬休みになるまでの短期間で、夏由に好きな人がいるらしいと言う噂がクラスに広がった。似たような話はいくつもあり、その中の一つとして語られている。ホテルで同室だったメンバーが何もコメントしなかったこともあってか、三学期になるともう誰も話題にしなくなっていた。
始業式の日、三年生のクラス分けを決める最終的な進路希望調査票が配られた。夏由は帰りがけに担任に呼び出されて、進路指導室に入った。
「面談してから、ちゃんと考えたのか」
「……私立の、文系で」
「文系って言っても文学部だとか経済学部とか、それによって試験科目も、高校で取らなきゃいけない教科があるところもあるんだぞ」
具体的に決めたのかと問われて口ごもる。
正月に父親に実家に行ったときにも、同じ話題で祖父から怒られたことを思い出した。父親が、祖父にこぼしたためである。自分で決められないなら経営学部に行くよう命じられもした。
いたたまれず、台所の手伝いに立つことでその場を逃れる。そこでは祖父の後添えで、肇の母親であるかなえに、最近体調が優れず気の弱くなった祖父が、夏由に会社を継いで貰うことを考えるようになったと伝えられた。
「わたしもね、あの人が頑張って大きくした会社がよその人のものになるのはなんだか悔しいわ。息子が肇も入れて三人もいるのに、誰も興味ないなんて可哀想よ」
かなえの甘ったるい声に、夏由は気分が悪くなった。だが、参考書代にでもしなさいと祖父の義男から手渡されたお年玉の金額を考えると、無碍にも出来ないような気分になる。だが、会社を継ぐなどと言う大きな話は実感できない。
「別に会社を継がなくても経営だとか経済の勉強をしておくのは悪くないと思うけど」
相談した義理の叔父である肇は、そうアドバイスをくれた。
「兄さんの大学って、難しいの」
肇は、千葉県にある私大の経済学部に通っている。
「墨東高校なら、真ん中の成績取っとけば無理ではないくらいだな。入っちゃえば出席も甘いし」
でも、と肇が言葉を切った。不意に真剣な顔になる。
「でも、なに」
「どうせ大学どこでもいいと思ってるなら、都内にしとけ。うちの大学だとお前ん家からはちょっと距離あるし、せっかく都内に実家があるのに千葉で一人暮らしもないだろ」
「自分だってそうしたじゃん」
「俺は、早く家を出たかったんだよ」
肇が投げ捨てるように言った。
肇が家を出たがった理由を、夏由ははっきりとは聞いたことがない。なんとなく、義理の家族との関係が煩わしいのだろうと想像するだけだ。
「叔父さんが千葉にいるから」
夏由が茶化すと、返事の代わりに拳が飛んできた。もちろん冗談半分で、コツンと耳の上に当てただけだ。
「とにかく、自分の将来だ。自分で決めるしかないんだよ」
それは肇自身にも言い聞かせているように夏由には聞こえた。
夜になって、叔父の和郞が実家に顔を出しに来た。スーパーマーケットで働く和郞は、正月休みとは無縁だと笑った。肇がいそいそと酒の支度をする。
夏由の父親は、和郞にも夏由が進路を考えていないと愚痴をこぼした。
和郞は、夏由が修学旅行中に撮影した写真を見て口を開いた。
「夏由くんは歴史が好きなのかい」
映されているのが、石碑やテーマパークの古い建物を模したものばかりなことを指摘して言う。
「歴史は、嫌いではないけど」
「だったら、歴史系の学科も調べてみたらいいんじゃないかな」
「和郞はまた甘いことを。夏由には経営をやらせといたらいい」
義男の厳しい声が飛ぶ。
「まあまあ、父さん。夏由くんことなんだから、夏由くんが好きなことをやった方が」
「そういう甘い考えだから駄目なんだ」
義男の叱責に、夏由は俯いた。
「経営学部か、経済学部で、考えてみます」
小声で言う夏由に、義男はそれでいいとばかりに頷く。和郞は心配そうに夏由を見たが、夏由は俯いたままだった。