ひとしれずこそ1章

13 進路(1)

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「兄さんは、どうやって進路を決めたの」
 夏由の問いに、肇は閉じていた目を開いた。レコードはすでに終わり、余韻に浸っていた肇はちょっと不満そうに夏由を見た。
「大学は、どこでもいいからそこそこのレベルのところ」
「適当だね」
「そんなモンだよ。元々大学に行く気もそんなになかったし」
 聞いていた和郞が少し苦い顔をした。夏由にはその意味が分からなかった。ただ、夏由が浪人した時の義男の剣幕は覚えている。大学くらい入れなくてどうすると肇を叱り飛ばしたのだ。
「正直、大学なんて夢のまた夢だと思ってた。高校だって、行けないと思ってたし」
 肇が少し遠い目をした。

 夏由が初めて肇と引き合わされた時、肇は十五歳の中学三年生だった。当時の夏由は九歳の小学四年生だ。その頃の夏由は、肇がどんな境遇だったのかを知りもしなかった。
 夏由の祖父と肇の母親の再婚は、その翌年のことだ。何かと理由をつけて祖父が息子たちを呼びつけるのに付き合わされるうちに、大人の会話からはじき出される夏由を肇が構い始めたのが、二人が親しくなったきっかけだ。

 夏由はなんとなく過去のことを思い出しながら、肇に質問を重ねた。
「じゃあ、経済学部を選んだのは」
「さっきの爺さんの言葉じゃないけど、やりたいことがないなら経済か経営辺りをやっておけば、就職活動でもそう悪くはなさそうだから」
「そんな先のこと、なおさら分からないよ」
 夏由はソファーに頭を凭れた。ぼんやりと天井を見上げる。
「まわりが」
 夏由は虚空に、悠翔の顔を思い浮かべた。
「もう進路を考え始めてる。置いて行かれた気分だ」
 悠翔は看護学部を目指す彼女を追いかけるという不純な動機ながら、目指す大学は決めている。鳴澤は、具体的な話を聞いた訳ではないが、音楽でプロの道を模索しているらしい。
 趣味らしい趣味もない夏由は、好きなことから進路を考えろと言われても難しかった。
「焦るなよ」
 肇が夏由の額に手を置いた。夏由は泣き出しそうな気分を押し込めて、目を閉じた。

 和郞に借りたTシャツをパジャマ代わりにして、肇はちょっと複雑そうな顔をした。和郞はファミリータイプの3LDKのうち、一部屋を寝室に、一部屋を鉄道模型を飾るために使っている。空いたもう部屋を客間にしているが、そこを使うのは肇ばかりらしい。
「女の人の気配がないのは、どうなんだろうね」
 肇が使い慣れたベッドに腰掛けて言う。
「兄さんにとっては安心なんじゃないの」
 肇の思う相手が和郞だと言うことは、この夏休みに入ってすぐに知ったばかりだ。肇の恋愛対象が男性であることは夏由も以前から知っていた。自分の恋愛のあり方が一般的ではないと自覚した中学生の時、夏由は真っ先に肇に相談した。そのとき、肇は自分も好きな男性がいると夏由に言った。
 
 予備の布団はないため、夏由は床に直接寝るつもりでいた。
「こっち使えよ」
 クッションを借りて枕の代わりに頭にあてがおうとしたところで、肇がベッドをポンと叩いた。
「兄さんは。叔父さんのところにでも行く」
「バカ。床でいいよ」
「別に俺が床でもいいけど」
「いいよ。お前が体壊したら小母さんがうるさいだろ。お前、すぐ調子悪くするんだから」
 反論できない夏由は、肇の言葉に甘えてベッドに登った。
「……一緒に寝る」
 試しに聞いてみた夏由に、肇はもう一度「バカ」と言った。

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