短編

日常1 或る朝

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 目覚まし時計代わりのスマホのアラームが鳴った。薄目を開けて周囲を見る。代わり映えのしない光景。半ば開いたカーテンの外はまだ薄暗い。古い磨りガラスの窓のおかげで、街の風景はいつでも滲んで見える。
 スマホがアラームを鳴らし続ける。停止ボタンをスライドさせようとした指は、しかしスヌーズボタンをタップする。
 今日は講義が一つあるだけだ。自分の研究活動以外は、他に仕事もない。起きるのが十分遅くなったところで何も問題はないし、それを見越して起きなければいけない時間よりも早くアラームをセットしている。

 喉が渇いているような気もするが、眠気の方が勝っている。まぶたを閉じると、途端に意識に靄がかかる。
 暗いところに落ちていく安心感。
 それを味わうまもなく意識がうすr……


 十分たったと思ったが、アラームの音がしていない。気のせいかと思いもう一度意識を閉じようとして気がつく。喉にはヒリヒリとして張り付くような不快感がある。まだ早いけれど、起きて水を一杯飲もう。
 まぶたに当たる日差しが随分と明るくなっている。違和感。
 慌てて目を開ける。スマホを確認すると、スヌーズから三十分以上もたっていた。
 シャワーか、朝食か。
 どちらかを犠牲にしなければ遅刻してしまう。

 ――何でこんな時間割にしたんだ。

 一限目ではないものの、午前中に講義を入れた新学期の自分と、こんな時間にしか講義を設定してくれなかった教務課を罵りつつ体を起こした。

 食欲はあまりないし、冷蔵庫にもろくなものは入っていない。
 夜に風呂へ入る習慣がないから、昨日の汚れが体に残っている気がして不愉快だ。
 そもそもシャワーと着替えを済ませて家を出て、朝からやっている喫茶店で軽く何かを口にするつもりだったのだ。
 窓際に吊してある洗濯物の中から、乾いていそうな下着を取ってバスルームに向かう。熱いシャワーを浴びれば目も覚めるだろう。
 石鹸が小さくなって、泡立ちが悪くなっていることを思い出した。戸棚を見る。細々した日用品の買い置きを入れている引き出しを開けるが、石鹸は一つもなかった。帰りに買ってこようと頭に片隅にメモする。昨日のメモの残骸に、同じことが書いてあるのを発見した。

 髪はずっと短くしたままだから、すぐに乾く。身支度を済ませて家を出る。教科書とノート、それから細々したものの入った鞄は意外と重たい。


 自動改札に、定期券の使用期間が来週に切れることを指摘される。
 私鉄に乗ったところで、喉が渇いたままだったことに気がついた。
 口をゆすいでさっぱりしたために誤魔化されていたが、いよいよ我慢が出来なくなってきた。唾を飲み込んで凌ぐ。
 降りるのは三つ目の駅。ホームには自動販売機があったはず。
 咳払いをして、首筋をひっかいた。

 大都市を走る電車の、駅と駅の間隔は短い。
 一駅分なら歩いてしまうという人の話を聞いて、田舎から出てきた当初は驚いたものだ。そもそも住宅街から駅までバスに乗らずに行けるというのも地元とは異なっている。
 ドアが開いて、また閉まる。
 通勤の時間帯よりは少し遅い時間のため、車内は落ち着いている。
 また数分走って駅に着く。
 目の前の席が空いたが、座るほどの時間ではないだろう。
 手に提げた鞄を持ち直す。
 喉がヒリヒリする。

 降りる駅にたどり着いた。吹きさらしで肌寒いが、もうじきコートはいらなくなるだろう。今日は薄手のトレンチコートを着てきたが、日差しのあるところを歩いていると少し汗ばむ。
 改札へ向かう人の流れとは垂直に進む。白い自動販売機の側面が見える。鞄の中を探りながら近づく。
「あれ」
 思わず声に出した。小銭入れがない。上着のポケットも念のために確認する。ズボンの尻も上から叩く。
「しまった」
 忘れてきてしまったらしい。昨日は大学の生協でノートを購入したが、そのときには小銭入れだけ持って移動したはず。ならば研究室の机に置きっぱなしにしてしまったのだろう。
 まあいい。財布はある。ああ、万札しか入っていない。改札の外にあるコンビニで崩せばいいか。
 財布をしまい直して改札に向かう階段を降りる。
 定期券の期限が来週に切れるという、赤い表示。
 さっきも見た、分かってるよ。仕方ない。帰りがけに更新してこよう。
 昨日もそんな風に思ったような気がする。
 帰りがけ。何か用事があったようにも思うが、覚えていない。
 大事な用事なら手帳に書いてあるだろうから、講義の前にでも確認しておこう。


 コンビニに入り、朝食用の菓子パンを棚から取る。
 これで自販機が使えるようになると安心した。早く何か飲みたい。
「あ」
 レジの横にコーヒーマシンを見つけた。
 コンビニのコーヒーもなかなか侮れないらしい。いそいそとレジに並ぶ。
「コーヒーの、レギュ……やっぱりラージ」
 レジで菓子パンとお釣り、カップを受け取った。
 マシンにはたくさんのボタンが付いている。ホットコーヒーのラージを探してボタンを押す。ミルクと砂糖は取っていいのだろうか。店員に聞くのも面倒で、ブラックで飲むことにする。
 行儀悪く、コーヒーを飲みながら大通りを歩いた。


 ようやく大学にたどり着いた。
 所属している研究室に入り、鞄を置く。ふいと思い出して机の引き出しを開ける。やっぱり小銭入れはここにあった。
 手帳を開いて、今日の予定を確認する。講義以外はやはり自分の研究だけだ。
 やはり用事があると思ったのは、思い過ごしらしい。
 飲み終わったコーヒーのカップをゴミ箱に捨てる。
 菓子パンを囓る時間くらいは取れそうだ。簡単に食事を済ませてから、大教室に向かおう。


 チャイムの音に少し遅れて大教室に入った。
 教卓の前に立ち、眠そうな、やる気のなさそうな顔の学生達を見回した。
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