ひとしれずこそ1章

8 試着室

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 夏由が差し出した浴衣を、悠翔は受け取って体に当てた。生成りに紺のグレーの縞が入ったものだ。
「どう」
 悠翔の言葉に、夏由は軽く二、三度頷いた。
「良いと思う」
 浴衣の善し悪しも、似合う似合わないも分からないまま夏由が答える。
「着てみた」
 試着室から出てきた鳴澤は、襟をざっと合わせただけの着方で浴衣を着ていた。少し着崩れた様子が鳴澤の雰囲気に合っている。
「温泉街にいそう」
 悠翔が言う。
「うん、ビールでももって射的とかやってそう」
「ああ、それ分かる。景品全部持っていく感じな」
「うん」
「一言で言えばうさんくさい親父」
「お前らな」
 鳴澤が少し怒ったような呆れたようなそぶりを見せる。それから夏由と悠翔が持つ浴衣を見た。
「へえ、センスあんじゃん?」
 鳴澤が、悠翔を見て言った。
「スタイリストは時城な」
 悠翔の言葉に、夏由は耳が熱くなるのを感じた。
「別に、適当だよ」
「ちなみに時城のを選んだのは俺な」
「どんなバカップルだよ」
 鳴澤が言う冗談に、悠翔は笑ったが、夏由は笑えなかった。

 浴衣を着てみるという悠翔がが試着室に入った。
「俺も着替えてくるわ。時城は」
「あ、俺も試着しておく」
 試着室を使う二人に続こうとしたが、試着室は二つしか無い。夏由は鳴澤が入った試着室の前に立った。
「お待たせ。荷物置いたままだけど」
 先に着替えが済んだのは悠翔だった。
 通常よりも少し広い個室には、壁に浴衣の着付け写真が貼られている。壁際には、悠翔が脱いだTシャツやジーパンが丸められている。
 少し汗のにおいがする。
 慣れない帯にもたつきながらも、どうにか形になったところでカーテンを開ける。
「時城は、なんかサマになってないな」
 待ち構えていた悠翔が感想をもらした。
「浴衣なんで滅多に着ないし」
「衣紋を抜きすぎなんだよ。男物は抜かないから」
 鳴澤が口を挟む。よれたTシャツが馴染んでいる。
「ああ、そうか」
 悠翔が納得して、夏由の襟をくいっと引っ張った。
「まあ、これなら良い感じか」
 自分の見立てに満足そうに笑う。
「岡田は着慣れてる感じがする」
 夏由は少し照れて悠翔の帯の辺りを見ながら言った。
「そうでもないけど、やっぱ日本人だし? 浴衣くらい似合わないとな」
 よく分からない理屈だが、夏由は頷いた。
「じゃあこれで決めちゃおうか」
「うん、俺、着替えてくる」
 夏由は回れ右して試着室に引っ込んだ。
「じゃあ俺、隣使うから着替えくれる」
 カーテンの中に手を突っ込んでくる悠翔に、夏由は服を渡してやった。汗で少し冷たくなった悠翔のTシャツの匂いに、夏由はトイレに行きたくなった。

 買い物を終え、アピタスから学校まで戻る途中にあるファミリーレストランに入った時には、夏由はどうにか平静を取り戻すことが出来た。
 手軽なイタリアンを謳うこの店には、同じ高校の生徒が集まりがちだ。寄り道をするにもアルバイトをするにもちょうどよく、夏休み中であっても部活動の前後に立ち寄る生徒で賑わっている。
「あそこ」
 席に案内される途中、鳴澤が夏由を肘で突き、小声で合図した。鳴澤の視線の先にはウエイトレス姿の少女が立ち働いている。
 なに? と目で問う夏由の耳元に、鳴澤は口元を寄せた。
「岡田のカノジョ、一個上」
 夏由は再びめまいがしたような気がした。

ひとしれずこそ

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