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夏由は、電話に出ることが出来なかったことを悠翔に詫びた。
ベッドの上であぐらをかき、視線は左手に持ったアイスキャンディーに向ける。
「それで、花火大会は行けるのか」
「花火、ああ。多分」
夏由は、夏休みの予定を思い浮かべつつ答えた。
夏由の家の近くにある川では、毎年八月初旬に花火大会が行われる。今年は三日に開催予定で、友人たちと四人で見に行く約束をしていた。
「じゃあ浴衣、買いに行かねえか」
「浴衣」
夏由は、溶けかかったアイスキャンディーを気にしながら聞き返した。それからアイスキャンディーにかぶりつく。
「そう。彦田は、ばあちゃんが呉服屋だろ。それで浴衣を着るっていうし、鳴澤も買いたいっていうし、お前はどうする」
ソーダ味のアイスキャンディーを口いっぱいに含んでいた夏由は、返事が遅れた。
「時城、聞いてるか」
「ああ、浴衣だろ。じゃあ俺も着ようかな」
「持ってるのか」
「ううん、買わないと」
「俺も。だからさあ、買いに行かね?」
夏由は財布の中身を思い浮かべた。浴衣の相場などわからないが、手持ちの資金では不足していることは間違いないだろう。お年玉を下ろすかと考えて返事をする。
「いいけど、いつにする」
「月曜日は予備校だから、火曜日の午前中はどうだ」
悠翔の提案に、夏由は壁に掛かったカレンダーを見上げた。
「予備校」
「夏期講習だけでも行けって親がうるさくて。ほら、俺の成績じゃあ日東駒専レベルは、な、厳しいし」
デリケートな話題に、夏由は返事が出来ない。
悠翔は都内でそこそこの大学名を挙げた。夏由はそのことにショックを受けた。崩れそうなアイスキャンディーを慌てて食べる。
「27日だっけ」
夏由が話題を戻し、待ち合わせの日付を確認すると、悠翔が頷く気配があった。
夏由は残りのアイスキャンディーを食べきると、残った棒をゴミ箱に向けて投げた。棒は縁にあたった後、床に落ちた。
「大丈夫」
それから、待ち合わせの場所と時間を決めて電話を切った。
夏由は、耳の奥に残った悠翔の声で、脳がじんじん痺れるように感じた。
悠翔からの着信を拒否する設定を解除し、夏由は携帯電話を枕元に放り出した。ベッドから立ち上がり、アイスキャンディーの棒を拾ってゴミ箱に棄てる。
「予備校か」
悠翔が進学に向けた準備を始めていることが、夏由には裏切りに思えた。
夏由は悠翔と、高校に入ってすぐに知り合った。高校生活の半分を同じようにダラダラと過ごした相手が、いつの間にか一歩先を歩いている。それが夏由の気持ちを沈ませた。
部活動を行っていない夏由は、夏休みの予定はほとんど無い。あまりの暑さにどこかへ出かける気力もわかない。宿題にさえ手を付けないまま時間ばかりが過ぎる。
「まったく漫画ばっかり読んで」
掃除機を持ち、ノックもせずにドアを開けた母親が文句を言う。
「勝手に掃除をしたら怒るんでしょ」
夏由は漫画をベッドの上に放り投げて、掃除機を受け取った。母親の鎖骨にに溜まった汗に不快感を覚える。
「明日、岡田と浴衣を買いに行くんだけど」
「そう、行ってらっしゃい」
「お年玉使って良いでしょ」
「そうねぇ。もう自分で管理しても良いけど、全部は駄目よ」
後で通帳を持ってくると言う母親を部屋から追い出して、夏由は掃除機の電源を入れた。