ひとしれずこそ1章

4 ウォークマン

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 悠翔ゆうとからのメールに返信をせずにいた夏由なつゆきの携帯電話に、着信があった。

 人間の三代欲求のうち二つまでを満たした夏由は、汗を流したあと、冷房の効いた室内でうつらうつらしていた。流行遅れのアイドルソングが流れる携帯電話に手を伸ばす。親指の爪先を使って二つ折りにされた携帯電話を開いた。
 表示された名前を見て、夏由は顔をこわばらせた。応答することも拒否することも出来ないうちに、相手が諦めた。
「悠翔」
「出なくてよかったのか」
「いいんだ」
 仰向けのまま操作をし、着信拒否の設定をする。
「それにしても」
 年の近い叔父であるはじめが、大学に提出するレポートを書きながら言った。この人物にしては珍しく、聞くのを躊躇うような様子である。
「ん」
「お前がアイドルに興味があるとは思わなかったから」
 先ほどの着信メロディーの事である。夏由の音楽の好みは、古い洋楽だ。肇が好んで聞いていたもので、元々は肇の好きな相手からの影響だという。
「……悠翔が好きだから」
「さいですか」
「UKロックなんてガラじゃないし」
「適当に周りにあわせてりゃあ楽だからな」
 肇の言葉に夏由はうなづいた。
「ウォークマン貸してよ」
 肇が通学に使っているナップサックを指さした。
勝手に出せと言うことらしい。
「開けるよ。ねえ、彼女とプリクラとか入ってないの」
「生憎とフリーなんでね」
 夏由は起きあがると、残念だなと茶化して肇のナップザックを開けた。
 ウォークマンを見つけだして電源を入れる。
「ああ、ついでに教科書とってくれ。『経済史概説』ってやつ」
「はい、あっ」
 取り出した教科書と一緒に、学生手帳がくっついてきた。ページがめくれ、挟んであったらしい写真が落ちる。
「へえ、意外と女々しいところもあるんだ」
「やめろ」
 裏返しになった写真をつまみ上げようとした手を、肇が制止する。
 一瞬早く、写真を取った夏由は、その慌てように肇を見上げた。
「返せよ」
「あ、うん」
 気まずくなって、夏由は肇に写真を返した。
 見えてしまったそれには、夏由のもう一人の叔父である人物が写されていた。

 身長は5センチしか違わないと言うのに、肇の服は夏由には大きすぎる。夏由はずり下がるTシャツの肩を気にしてため息をついた。借り物のウォークマンのイヤホンからは、ディープ・パープルが流れている。
 着替えと夕食の買い出しのため、近所のスーパーマーケットを訪れた夏由は、精肉コーナーに立ち寄った。
 泊めてやる代わりに食事の支度をしろと肇に命じられたが、夏由のレパートリーは乏しい。
「カレーには豚だよな」
 市販のルーを溶かすだけで簡単に作れるカレーは、夏由が作ることが出来る数少ないメニューだ。カレー用と表示された角切り豚肉をかごに入れる。付け合わせは、サーモンとエビをマリネの素であえたものが、夏由の家の定番だ。ちぎったレタスに乗せるだけで見栄えがする。ゆでたブロッコリーを入れてもいいが、今日はそこまで手間を掛けるつもりはない。
 鮮魚コーナーに移動しようとした夏由は、台車から肉の入ったパック棚に並べている店員に目をとめた。
「叔父さん」
「ナツ、また肇君のところか」
 仕事の手をとめて、叔父が振り返った。
「うん。忙しそうだから、もう行くね」
 夕方のスーパーマーケットは買い物客で込み合っている。
 夏由はウォークマンの音量を上げた。


ひとしれずこそ

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