ひとしれずこそ1章

10 花火

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 夏由が彦谷浴衣を着付けて貰うと、夕暮れの花火大会会場へ出かけた。くすんだ緑に墨色の格子が入った浴衣に黄土色の帯だ。悠翔も着付けを直している。
 河川敷はレジャーシートで一杯で、すでに座る場所など無い。堤防の下の路地に並んだ屋台で、夕飯用に焼きそばと飲み物を買った四人は、そのまま路地で食べながら、花火が上がるのを待った。
「何時からだっけ、花火」
 鳴澤が訊ねた。
「7時半。だけど区長の挨拶とかあるから、上がり始めるのは40分過ぎかな」
 地元の夏由の答えに、彦田が腕時計を見た。一時間ほどの待ち時間がある。
「岡田はさ、彼女がいるだろ。なんで俺たちと花火なんだ」
 彦田の疑問に、夏由は悠翔が何と答えるのか、聞きたくないような気持ちがした。
「誘ったよ。今日だけじゃなくて、他の花火大会も」
「ああ、じゃあ他のに一緒に行くのか」
「行かないよ」
 悠翔が不満げに答えた。
「今年は花火なんかよりも予備校だって。プールも遊園地もなし。つまんない夏だよ」
「俺たちがいるだろ、な、夏由」
「相手は受験生だよ。仕方ない」
 夏由は、今の夏に悠翔が定番の思い出を作らないことを内心喜びつつ、夏由を宥めた。

 ずっと明るいままにも思えた夏の夕方も、7時を過ぎると一気に夜へと変わっていく。
 堤防の向こうから、区長の挨拶を流すスピーカーの音が聞こえてきた。近所の住民が路地に集まってくる。
 もうすぐ始まると期待させておいて、花火はなかなか始まらない。
 待つことに飽きてきた悠翔が携帯電話を開いた時、ヒューという音が聞こえた。
 パッと空が赤くなる。一瞬遅れてドォンと鳴る。「おおぅ」と言う声がいくつも重なった。
 単発の花火が、数発上がったあと、少し間が空いた。
「ここからでも結構見えるな」
 彦田が呟く。
「河川敷に降りるよりも見やすいかも。降りちゃうと、ほぼ真上だから」
 目の前の船から上がる花火は迫力があるが、寝転ばなければ見辛いのが欠点だと夏由が言う。
 次の花火はスターマインだ。ドドドドと腹に響く。夏由は、連続して打ち上がる花火に照らされる悠翔の横顔を盗み見た。
「すごい」
 悠翔が呟いた。
「うん」
 夏由は、慌てて視線を花火に戻して頷く。鳴澤は携帯電話を掲げて写真を撮っている。彦田は腕を組んで見入っていた。
 二分ほど続いた花火に、観客から拍手が起こり、止んだ。誰かが缶入りの炭酸飲料を開ける音がした。火薬の匂いが漂ってくる。
 次の花火は、夏由が一番好きな花火だった。小さな光がジジジと音を立てながら夜空に溶けていく。それから黄色い光が長く垂れ下がるものが続いた。

 丸く開いた後に長くたれるもの、蝶々や猫、土星の形になるものなど、次々に打ち上げられる。
「終わりか」
 最初と同じ花火の後、五分ほど何も起こらない空から目を離した鳴澤が言った。堤防に作られた階段からは、河川敷から出てくる人が列になって降りてくる。
「まだだよ」
 夏由の返事に、花火が上がる音が重なる。帰りかけていた人たちが振り返る。
 ドォンと一発。
 さすがにこれで終わりだろうと移動を始めようとする彦田を、夏由は制止した。
 一瞬の間の後、再びスターマインが夜空を彩る。始めの時よりも長い時間、上がり続ける花火。
「これがメインイベントだ」
 夏由の声は、花火の音と周囲のどよめきに紛れた。
 
 
 
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