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このシリーズは、成人向けの表現を含みます。
二つある最寄り駅からは、どちらもバスで十分ほどかかる。
流行りの小説や漫画本はほとんど置いておらず、あまり有名ではない作家の文庫本を中心に商っていた。本店は別にあり、店主曰く、そこで売れ残った本を倉庫代わりのこの店で処分しているのだという。
だから、客の入りは良くない。
よく見かける客だ、と朔斗が気が付いたのは、東京に初雪が降った頃のことだった。
両耳に沢山のピアスをつけた、近寄りがたい男。
週に二、三度現れて、背表紙の褪せた、中身も変色しているような文庫本を買っていく。それなりに読書量の多い朔斗でも知らないような著者名ばかり。
それがその人物に対するその時の認識だった。
「ですので、買い取りは本店の方へお願いしておりまして」
朔斗が店番をしていた冬のある夕方、古本の買い取り依頼に来た客は、朔斗の言葉を聞き入れずにごねた。
この店に店主が来るのは朝晩だけだ。後は店主の身内らしい社員が日に何度か様子を見に来るくらいで、後は二人のアルバイトが店内にいるばかりである。
「だからここは古本屋なんでしょ。いいからお金を払いなさいよ。私は急いでいるのよ。本店なんて知らないわよ」
「でしたら一度お預かりして、後日のご精算も出来ますが。この場には鑑定の出来る者がおりませんので」
人当たりの良い朔斗が対応に苦慮している間に、もう一人のアルバイトがバックルームで社員の携帯電話に連絡を取る。
「だから、急ぎなのよ。一五冊もあれば安くても二千円にはなるでしょ。多かったら差額はいいから、そのくらい出してよ」
「申し訳ありませんが、出来かねます」
いい加減に朔斗が辟易した頃、その人物は店に入ってきた。しばらくはいつものように本棚を眺めていたが、やがてレジの騒動に気が付いて眉をひそめた。
それが、朔斗にはやけに気になった。
程なくやって来た社員が事を収めて本店に戻る。朔斗はすっかり疲れた気分でレジに置いてある椅子に座った。
常連の男は、珍しく何も買わずにいなくなっていた。
「災難だったな」
朔斗が締め作業をもう一人のアルバイトに任せて店を出たのは、何時もよりは少し早い時間だった。
バス通りに出たところで、あの男がガードレールに腰掛けている。
朔斗は始め、自分が声をかけられているとは思わなかった。
「あんただよ。お疲れさん」
不意に投げて寄こされた物を思わず受け取る。
缶ビールだった。
「えっと、お客さん、ですよね」
朔斗がシャッターの閉まった店を示しながら確認する。
「ああ」
「えっと、これは」
朔斗が缶ビールを見せると、男は差し入れだと言った。
得体の知れない人物から物を貰わない程度の警戒心は、朔斗にもあるつもりだった。
「じゃあ、またな」
だからそれは、男が立ち去ってしまったために、返す機会を失っただけだと言い訳が出来る。朔斗はそう思った。
春も近いせいか、夜風が頬に心地よかった。