老婆の語り

ただひとつの

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 まあ、そんなことをお聞きになりたいのね。恥ずかしいわ。でも、そうね、ご迷惑をお掛けする方ももういらっしゃらないことですし、いいわ、お話ししましょう。

 わたくしの娘時代には、外国の方にお目にかかる事なんて無かったものよ。街の方ではあったのかもしれないわ、でもわたくしの郷里さとは田舎だもの、わざわざ来るようなところではなかったのよ。本当に何にも無いのよ。森ばかり。果物や木の実を取りに行くのは若い娘の仕事だったの。男たちは時々獣を捕まえたり。
 あら、わたくしったらすぐに話がそれてしまって。よく父にも叱られたわね、一体何が言いたいのか終いまで聞いてもわからないって。厳しい人ではあったけれど、もののわからない人ではなかったわ。わたくしまだ娘にもならない頃かしら、隣村のちょっと年上の方を思っていた時も、叱りはしなかったもの。でもまあ、結ばれることはないとわかっていたから放っておいただけかしらね。
 あらいけない。まただわ。
 そうね、でもあれはまだ恋とはいえないようなものでしたわね。
 娘時代には人並みにいくつかの恋をしましたのよ。

 初めてちゃんと、恋というものをしたのは、十二の時ね。細工職人の家の方に焦がれてどうしようもなかったわ。その方はもう決まった方が、姉だったのよ、父が決めた相手だわ。あの時代はそのようなことは当たり前だったのよ。姉も、一番上の姉だから二十を幾つも超えて、嫁ぐには遅いくらいだったのよ。うちは貧しかったから、あの村では裕福なものなどいなかったけれど、中でもね、決まるのが遅かったのよ。その相手というのが、最初の奥様をおなかの赤ん坊と一緒になくされて、ほかにもお子さんが三人いらして、母親が必要だったのね、喪が明けたらすぐに次の人をと探してらしたのよ。そんな方だから姉のような行き遅れを貰ってくださったのね。
 姉が嫁ぐときには大泣きしたわ。皆は姉を慕っていたから、同じ村の中とはいえ離れて暮らすことが寂しいのねと慰めてくれたの。でもね、違うとは言えるような状況ではなかったのよ。横恋慕なんて、それも姉の夫になんて、いけないことだもの。

 泣いていたわたくしの慰めになったのは、その義兄あにと仲の良い方で、弓の上手な方でしたわ。獣が捕れると、良いところを届けてくださって、わたくしの家は姉妹ばかり五人で、年頃の男がいませんでしたから、父も狩りはやめにする年齢でしたし、獲物は手に入りにくかったのよ、それで、よくその方が分けてくださったの。そのときに時々姉夫婦のお話しを聞かせてくださって。そのうちに、もっといろいろと、ああ恥ずかしいわ。でも、二人で遊びに出かけたり、触れたりはしなかったわ。あの方もわたくしを憎からず思ってくださっていたようでしたけれど、別の村の家に貰われて行きましたわ。跡継ぎはもういらっしゃる家の方でしたし、良い縁談だったそうで、婿養子であちら様の跡継ぎにと望まれて、断る理由もなかったそうでね。

 しばらくして、すぐ上の姉が結婚が決まったのよ。やはりわたくしたち姉妹の事ですから、あの頃にしては遅い結婚だったのよ。それでも十八までに片付いたのですから、姉たちの中では良い方でしたわね。わたくしよりも年下の方を、養子にいただいて、姉を添わせたの。まあ、これもよくあることだったわ。しっかりした方でしたがご家族を早くになくされて、良い結婚は望めなかった方ですけれども、我が家の跡取りに収まったのですから、人生わからないものね。この方にはあまり、今の言葉で言えば、トキメキと言うのでしょう? そういったことは感じませんでしたわね。

 ともかくそれで、後はわたくしが片付けばよい事に。
 その頃、外国の旅人さんが道に迷ったとかで村にいらしたの。
 肌は白くて、でもしっかりとした体つきでしたね、腕などたくましくて。お若い方に見えましたし、お体も悪くないようでしたのに、昼間は休んでいることが多くて。まあ病などは傍目にはわからないこともありますのね。
 美しい方でしたが、どことなく人間離れした美しさで、気味悪がる娘も多かったかしらね。八重歯は不吉なものと、迷信ですけれど、ありますから。ええ、あの方には立派な八重歯がありましたよ。髪も目も色が薄くて、品のない女などは、どこもかしこも白いのかしらと陰口をしていたそうよ。
 その方は村はずれにひっそりと暮らし始めて、食べ物などは珍しい宝石などを村の地主様に差し上げて、それで賄っていらっしゃったのよ。それほど長く村で過ごされなかったかしらね。冬の旅は雪が危ないので、冬を越すまで滞在したいと、そうそう、確かに冬のことだったわね、ひと冬の。

 お勝手仕事もできる方でしたけれど、女手はあった方が良いからと、余計なことをしないように見張る意味もあったのかしらね、地主様にいわれましてね、わたくしがお手伝いに上がることになりましたのよ。わたくしなら間違いがあっても仕方ないと、そういう立場でしたので。
 はじめの十日ほどは通いで、その後は雪も深くなりましたし。
 泊まり込みでお世話をするようになってからも、地主様の思うような間違いはそのときはまだなくて、でも今までのいくつかの恋なんて、子供の遊びのように思えるほどだったわ。あの方が姉の夫になることに泣いたことなど、子供がお気に入りのおもちゃを取られたような、その程度に思えるくらい。
 雪が深い間は、表にもあまり出ないでしょう、旅人さんに今までのお話しをよく聞いたのよ。
 見渡す限り砂ばかりの国、驚くのも忘れるくらい水ばかりの海というものを、船で旅をしたこと、黄金が実るという国、夏でも溶けない雪と氷の山、冬になることを忘れた島。
 きっと作り話がお上手な方なのね、だって、全部合わせたら、何十年も旅をしなければならないもの。生まれてすぐから旅しても半分にもならないくらいのお話しなのよ。
 わたくしを退屈させないように気を遣ってくださったのね。でもわたくしは、あの方を見ているだけで退屈などしなかったの。

 あまりに寒い夜だったわ。あの小屋は本当は夏の間の狩りに行くときに使う小屋で、暖炉はありましたけれど、立て付けが良くないの、風が吹き込んで。
 あの方は平気そうになさってたわよ。もっと寒いところにも行ったことがあるそうなの。でもわたくしがあんまり寒がるものだから、布団を一枚譲ってくださって。
 でもそれではあの方が平気だとおっしゃっても悪いもの。遠慮したら。

 春になって、あの方は村を去りました。地主様たちもほっとしたようです。わたくしも家に戻り、それからすぐに誰にも告げずに村を出ました。
 どうやら子供を授かったようだと気づきまして、父親は当然みなに知れますし、もうどなたも貰ってくださらないでしょうし、誰にも悟られないうちに。
 街で、大きなおなかを抱えて一人で暮らすのは苦労はありましたが、街ならばどこかから逃れてきたようなものが他にも大勢おりますし、そこにまぎれて、仕事も何とでもなりますし、洗濯女なんかの組合に入れて貰ったり。そのうちに無事赤ん坊も生まれ、その後は肌を許すことを厭わなければ。
 子供は男の子で、あの方に似た色の白い子で、どうも育ちが遅く気を揉みましたが、十五を過ぎてもまだ五つの子より幼く見え、おかしなところが目立たないように住まいを変え、遠い街や村を転々としたこともありましたよ。体も弱かったせいでしょうね、でも動物の血をいただく風習があるところにおりました時には元気になりまして、しばらくはそのうような暮らしをする村々を回っておりました。その後も手に入るときには飲ませてましたよ。今はすっかり見た目も大人になり、あら、あの子は幾つになったのかしら、いやね、年を取ると大事なこともわからなくなって。自分のとしも、村をいつ出てきたのかも、記憶の彼方なのよ。

 ええ、でもわたくしももうお祖母ちゃんになっても可笑しくない年のはずですよ。三十前に見えるなんて、お世辞が過ぎますよ。若さの秘訣ですか、まああるとすれば、男の方に愛される事かしら。肌を重ねようとすれば、手入れにも念が入るものなのよ。
 首筋の怪我ですか、ああ、これは、お恥ずかしい。あの方は触れあうときに、八重歯を立てるのがお好きなようで、跡が残ってしまいましたわね。ストールでも新調しようかしら。



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