御厨さんと藤堂くん

御厨さんと藤堂くん1

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 その男はひどく退屈そうな顔をしていた。大学のゼミの、今年度最初の飲み会の席である。
普通ならば自己紹介でもして、少しでも親しく接しようとするだろう。だがその男は、「四年の御厨みくりやです」と名乗ったきり、黙ってウーロンハイを飲んでいた。
 三年生になり日本文学科の高千ゼミに入った藤堂高巳は、だからその御厨という男のことが印象に残った。藤堂を除く七人のゼミ生のうち、その日までで藤堂が顔を覚えたのは、この一人だけである。

「じゃあ私はこの辺で」
 陰では高千女史とあだ名されている教授が、比較的早い時間に腰を上げると、ゼミ生たちも店を変えることにした。食事メニューも豊富な居酒屋チェーンを出て、バーに移動する。
「御厨、生きてるか」
 四年生の誰かが御厨に声をかけた。御厨は雑居ビルを出た辺りで俯いて額を抑えている。席を立ったときから足元が覚束ない様子だった。
「眠いし、地面がグラグラしてる」
「お前、酒飲んだだろ」
 女子学生の言葉に御厨はうなずき、眉をひそめた。四年生が御厨の周囲に集まるのを、三年生は何事かと見ている。
「仕方ねえな、コンビニで水でも買ってきてやっからさ、その辺座っときな」
「別にいいよ。そのうち収まるから」
 御厨は鬱陶しげに女子学生に答えた。
「御厨さんて、お酒弱いんですか」
 藤堂が四年生が集まっている方へ向かって尋ねる。
「めっちゃ弱いよ。そのくせ飲みたがるんだよな」
 最初に御厨に声をかけた男子学生が答えた。根元が黒くなった金髪をだらしなく伸ばし、ルーズなカーゴパンツを穿いている。
「でも、いつもは酔ってもちゃんと歩けるけどな」
 女子学生は、言葉はがさつだが、心配そうに御厨を見ている。
「強いのかと思いましたよ、ウーロンハイばっかりだったから。それにあんまり食べてなかったから余計に回るのが早かったのかな」
「よく見てたな。誰も気にしてなかったのに」
 藤堂の言葉に半ば呆れたように返した。そこへ、もう一人の四年生の男子学生が口を挟む。
「それよりこいつどうするよ。このまま飲み屋に連れてくのもアレだし」
 親指をくいっと後ろに向けて御厨を指した。
「じゃあ俺が送っていきますよ」
「でもお前らの歓迎会だぜ」
「すいません、俺明日は朝からバイトなんで、早めに抜けさせて貰うつもりだったので」
 藤堂が申し訳なさそうな表情を作ると、四年生たちはそれならと目顔で伝え合うような仕草を見せた。
「それじゃあ悪いけど、御厨のこと頼む」
 女子学生が言う。藤堂は車道側に歩いて行き、タクシーを探し始めた。
「ほれ、御厨。そこの後輩くんが送ってくれるって言うから」
 程なくして空車が見つかり、藤堂は手を上げた。
「御厨さん、車に乗れそうですか。吐き気は」
「ない。いいよ、適当に帰るから。藤堂くんもみんなと行って来なよ」
 御厨が駅の方へ歩こうとするが、ふらふらして藤堂は見ていられなかった。
「でももうタクシー捕まえちゃいましたから。それじゃあお先です」
 藤堂は有無を言わさず御厨をタクシーに押し込むと、後から自分も乗り込んだ。

 御厨が運転手に行き先を告げた。大学のある駅で、藤堂の住む学生マンションにも近い。
「へえ、御厨さんもあの辺りに住んでるんですか」
「藤堂くんの家。送ってあげる」
「何言ってるんですか、送られるのは御厨さんでしょ。というか、なんで俺んちの場所分かるんですか」
 藤堂が呆気にとられていると、御厨は事もなげに答える。
「さっき島田に聞かれて答えてたでしょ」
「島田って」
「プリン頭」
「ああ、あの人。あ、確かに飲みの席で聞かれて大学の近くって答えましたけど」
 聞いてたんですかと質問をすると、聞こえてたと短い返事があった。
「って、そうじゃなくて、御厨さん家はどこなんですか」
 再び尋ねるが御厨は答えなかった。目を閉じてじっとしている。藤堂はため息をついた。

 藤堂がため息をついたのを、御厨は目を閉じて聞いていた。
 同じゼミ生と言うだけの、ほとんど初対面の相手に自宅を教えるのは気が進まなかった。そこで寝たふりをしたら、どうやら諦めてくれたようだ。酒に酔って眠くはなっていたが、他人の前で眠りたくはない。あの場を収める方便として大人しくタクシーに乗り込んだまでの事だ。弱いと分かっていて酒を飲んだのも、酔いを理由に二次会を逃れて先に帰るためだ。
――ただ、あまりにもくだらない会でつい飲み過ぎた――
 御厨は内心で呟いた。このまま目を閉じていたら、本当に寝てしまいそうだった。

 私鉄で二駅分をタクシーで移動した。御厨が指定した駅に近づくと、運転手は細かな場所を確認してきた。
「御厨さん、起きれますか」
「ん」
 藤堂は御厨の肩を揺すったが、起きる気配はない。仕方なく、藤堂は自分の住むマンション近くを改めて告げる。
 タクシーはすぐにマンション前に止まった。金を支払い、御厨を担いでタクシーを降りる。上背のある御厨だが、意外と軽い。完全に寝てしまっている御厨を背負い直してマンションに入った。
 部屋に上がって、自分のベッドに御厨を寝かせる。上着を脱がせると、だぼっとしたカットソーから白い鎖骨が見えた。

御厨さんと藤堂くん

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