雨が止む頃

雨が止む頃 9

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 翌朝、弘哉が身支度を調えて台所に入ると、すでに清也が食事の支度を始めていた。味噌汁の香りが漂う。卵焼きは、これから作るようで、ボウルに割り入れた卵をといている。
「おはよう」
「おはよう、ございます」
 相変わらずぎこちない挨拶に、清也が笑みを返した。
「あれから思ったんだけど」
 不意に清也が言った。弘哉はテーブルに着こうとしたところで動きを止めた。表情が少しこわばるのを感じた。
「弘哉くんと僕とでは、きっと大切なものを大切にする方法が似てるんだ」
 清也の言いたいことが分からず、弘哉は黙ったまま振り返った。清也が醤油を卵液の中に垂らす。
「僕は弘哉くんに何かしてあげたいと思ってる」
「うん。それは、わかるつもり」
 いつも、弘哉のためにしてくれていることを、弘哉はただ受け取るばかりだ。
 清也が、卵焼き器に卵液を三分の一ほど流し入れた。
「多分、弘哉くんも僕に何かしてくれようと思ってる」
「うん」
 それが迷惑だと言われたらどうしようかと思うと、泣きたくなるような気持ちになった。眉間に力を込めて気持ちを抑える。
 清也は、固まりかけた卵を巻き菜箸で持ち上げ、残りのうちの半分の卵液を加えた。
「だから、それですれ違ってしまったんだ」
「俺が、何かしたいと思うのは、迷惑だったかな」
 弘哉が絞り出すように言う。清也は弘哉の方を見ずに卵焼きを作り続けている。
 清也が卵焼き器を軽く上下に振った。最初に巻かれた部分を芯に、新たな層が巻かれる。卵焼きはそんな風に作るんだと、弘哉は思った。
 卵焼きの味に不満を募らせてはいても、作り方一つ知らなかったことに思い至る。そんな自分が清也に何かしようだなんて、思い上がりだったのかもしれないと、気持ちが沈んだ。
 清也が残った卵液を卵焼き器に入れて巻くと、弘哉が砂糖はいつ入れるのだろうと思っている間に卵焼きは完成した。
「昨日出しておいてくれたタオル、助かったよ。ありがとう」
 卵焼きを切って盛り付けながら清成が言う。清也が口にした感謝が、ただの礼儀ではなく心からのものだと弘哉には分かった。
 弘哉が皿を受け取りに行く。清成はごく自然に弘哉に渡した。
 ささやかな変化に、弘哉は肩の力を抜いた。

 そろってテーブルに着く。
 ご飯を一口食べてから、弘哉は卵焼きに箸を伸ばした。
「あ」
 甘くない卵焼きは久しぶりだ。
「僕は一人暮らしが長くてね、家の事は全部自分でするのが当たり前だった」
 清也が箸も取らずに言った。
「何でも自分の慣れたやり方だけでやってしまうのが、僕の悪い癖なんだと思う」
「一人でいたら、そうなるのは当たり前だと思うけど」
 弘哉が言うと、清也が小さく首を振った。
「でも、それで弘哉くんの気持ちを無視するようなことを言ってしまった。すまなかった」
 突然の謝罪に、弘哉は戸惑った。箸を置いて清也を見つめる。
「でもそれは、俺が兄さんの事を分かってあげられないような子どもだから」
「違うよ」
 珍しく、清也がきっぱりという。
「僕に、弘哉くんの気持ちを受け止めるだけの度量がなかったんだ。弘哉くんを大切にしたい気持ちに嘘はないけれど、それなのに弘哉くんの気持ちを大切にしてあげられなかった」
 清也が言い終えると、弘哉は小さく肩をふるわせた。目にはうっすら涙が浮かんでいる。
「俺は、はじめは兄さんに迷惑をかけたくなくて、それから、兄さんの役に立ちたくて」
 気分が高揚して、言葉が出てこない。
「大事に扱ってくれるのは分かったけど、同じものを返したいのに、どうやったら返せるのか分からなくなって。ずっと迷惑をかけてるんじゃないかって思って」
「迷惑だなんて思ったことはないよ」
 清也の言葉に、弘哉は安心したように微笑んだ。手の甲で目元を拭う。
「さっき兄さんが言ってた、大事にする方法が似てるって、分かった気がする。俺も兄さんに何かしたいって気持ちばっかりだった」
 言ってから、弘哉は照れ隠しに箸を再び取る。清也も食事を始めた。

 二限目の授業に間に合うように家を出た弘哉を見送ってから、清也は居間でテレビを付けた。
 今日からは晴れが続く予報で、まもなく梅雨明けの発表がありそうだとワイドショーが伝えている。


『雨が止む頃』

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