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結局、弘哉はそれから三日間寝込んだ。無理して出歩いたことがいけなかった。
ようやく起きられるようになってからも、もう一日休んでいるようにと清也に言われ、今度は大人しく家で過ごしている。明け方に降り始めた雨のせいか、肌寒く感じる。
弘哉から連絡をしなかったことを、清也は一切口にしない。ただいつも通りに「おかえり」と迎えられた。
リビングでは、珍しく付けっぱなしのテレビだけが喧しい。関東地方では来週にも梅雨明けを迎えると予想され、夏のレジャースポットが紹介されている。
「コーヒー淹れるけど、飲むかい」
清也が、読みかけの新書を置いて、ソファーから立ち上がった。弘哉は隣の台所で、ダイニングテーブルに向かって大して興味も無い雑誌をめくっていた。
「俺、やりますよ」
弘哉は雑誌を閉じると、コンロの前に立ちヤカンに手を伸ばした。
「座ってて良いよ」
そう言いながら、清也が棚からコーヒー豆の入った袋やマグカップを取り出す。弘哉は水を入れたヤカンを火に掛けると、再びダイニングチェアに座った。清也がドリッパーとミルをダイニングテーブルに置く。
清也は、ドリッパーにペーパーフィルターをセットしサーバーの上に置くと、豆を計ってミルに入れた。
「ちょっと良い豆なんだ」
古めかしい手動のミルのハンドルを、清也が回し始めた。
「兄さんて」
弘哉が不意に言った。豆を挽く音に紛れるほどの声にしかならなかった。しかし、清也は手を止めないまま視線だけを弘哉に向けた。弘哉は頬杖を付いて清也から顔を背けた。
「俺に家の中いじられるの、本当は嫌いだったりするの」
「そんなことは、ないけど」
挽き終わったコーヒー粉を、ペーパーフィルターの中に入れる。清也はコンロの前に移動すると、火を止めた。ドリップポットに湯を移し替える。
「けど、なに」
「何が気になるんだい」
テーブルに戻った清也は、ゆっくりと、ドリップポットからコーヒー粉に湯を注ぐ。
「俺が家の事するの、いつも止めるから」
一度手を止めて蒸らし、再び湯を注ぐ。何度かにわけて繰り返し、サーバーに十分コーヒーが溜まったところで止め、ドリッパーを外した。マグカップに注ぎわけると、弘哉に差し出す。
弘哉はそれを受け取らなかった。
「子どもはそういう事を気にしなくて良いよ。自分の家だと思ってくつろいでくれれば良いんだよ」
「前も、同じようなこと言ってたけど」
清也は弘哉の前にマグカップを置くと、向かいに座った。
「俺って、そんなに子どもかな。一人暮らしも満足に出来ない、兄さんに世話になりっぱなしで家の手伝いもさせて貰えないくらい子どもなの」
弘哉は自分の言葉に、どんどん気持ちが昂ぶっていくのを感じた。叫びそうになるのを抑える。
「そんなことはないけど」
「あるでしょう。今だって子どもって言ったじゃないか」
「それは、言葉の綾というのか、」
煮え切らない態度の清也に弘哉は苛立ちを募らせていく。
「俺だって兄さんの役に立ちたい。兄さんを頼るだけじゃなくて、頼りないかもしれないけど、頼りになりたいんだ」
弘哉の言葉に、清也は虚を突かれたような表情をした。
しかしそれは、俯いてしまった弘哉からは見えなかった。
「……コーヒー、ごちそうさま」
弘哉がマグカップを持って立ち上がり、六畳間に繋がる襖を開けた。
弘哉が部屋に入ってしまうと、清也は大きくため息をついた。
せっかく話ができたと思ったが、また機嫌を損ねてしまった。何がいけないのか分からない。
「大切に、したいだけなんだけどな」
苦いコーヒーを、清也は半分も飲めなかった。